私が岩登りを始めた2、3の理由(又は、カナダ旅行報告完結編)

 北岳バッドレスからは鳳凰三山のシルエットがよく見えた。思えば去年の夏、嵐の白馬縦走で山登りに興味を持ち、9月になってから米ちゃんに頼んでつれていってもらったのがこの山域だった。前日の雨が嘘のように晴れわたり、雲海の向こうに富士山、左に北岳、右に八ヶ岳、そして行く手に甲斐駒と全部見えた。

 四方八方から「ほらホラ、アタシを見てちょうだい」と誘われているようで、私は「あぁー」とか「いィー」とか意味不明の溜息を連発する山のお登りサンになってしまったのだった。

 それでもオリベスク(あれ?オベリスクだっけ?)に登ったときは恐怖で足がすくんでしまった。足がガクガク震えて、腰が引け、岩から手が放せなかった。そうして、できるだけ下を見ずに遠くの山に視線を固定して平静を装いながら「山はいいけど岩はだめ。絶対ダメ」と心に誓っていたのでした。

もちろんこのときは「夏山はいいけど冬山はイヤ」とも誓っていたわけで、それでその1カ月後には妙高山で腰近くまである雪道をラッセルしてたんだから、自分の誓いはこうも当てにはならないということですね。今ではバットレスなんぞに挑戦して「これは、癖になるかも」と予感しているし。

 実は岩登りをやろうと決めたのも本当は岩登りが目的ではなかったのですね。

「いィんだよ、沢登りが、また」

 酔っぱらうたびに(つまり会うたびに)米ちゃんが言うんですね。

「静かな沢を登っていってだな、焚き火なんかしちゃうんだな」

「へーっ」

 焚き火というキーワードに耳をピクリとさせながらも一応冷静に奴の話を聞く。

「それでね、どんどん登っていくと自然の温泉なんかがあるんだな」

「それで?」

「温泉からお湯をひいて自分だけの温泉をつくっちゃうんだな」

「楽しそうじゃん」

 自分だけのというのも私にとっては魅力的なキーワードだ。

「しかもそれで釣りなんかしちゃうんだな」

 酒で顔を真赤にしながら「んだな」の波状攻撃を仕掛けてくる米ちゃん。何とかその手を緩めようと自分も最後の抵抗を示す。

「でも、釣れるのかい?」

「それが、釣れるんだな。それで焚き火で塩焼きにしちゃうんだな」

 釣りには格別興味がないけど、釣ったばかりの魚を焚き火で焼いて食べるなんて、それでその後自家製の温泉に入れるなんて....あぁ、もうだめ。

「面白そうじゃん、連れていってよ」

「うん。でも岩登りができないとな」

「....」

 そうか、そういう仕掛けなのか。突然、なんだか自分がインドのカースト制度の下層階級になったような気がした。でもカースト制と違うのはこっちは努力次第で出世できるんだな。室内のクライミングジムで練習するくらいなら危険度も少ないんだな。装備を買うお金はないけどローンってのがあるんだな。と、私は自分でも気づかないうちに「んだな」男と化していったのでした。

 それで菊川にあるWingsというジムに何回か通っていたわけです。ちなみに私が5、6回行ってようやくできるようなったチャというボルダリングルートを谷口、三浦の両人はたった2回で完成してしまった。恥ずかしい。

 でも自分では「夏になったら沢へ行くんだな」「だけど岩には行かないんだな」と頑なに信じていたのでした。

 その気が変わったのが....といって、ようやくここで前号からのつづきになるのだった。

カナダ旅行で最初に登った(そして結局、唯一登頂できた)ミドルシスターという山の頂上付近で我々は道を誤って岩場に入り込んでしまった。

 ガイドブックによればこのルートは初心者向けで基本的には手をつかなくても登れるはず。ところが我々の行く手にはみるみるうちにまだ雪や氷がひっついた岩壁が立ちふさがってしまったのでした。今から考えると角度はたいしてなくて登ろうと思えば登れたと思うんだけど、プラスティックブーツをはいて、それなりの装備のザックをかつぎ、しかもノーザイルだったから、私は途中まで登ってもうどうしようもなく、いきずまってしまったのです。

 本当はザイルはあったんだけど、米ちゃんが先にそこを登ってしまい、後で私がザイルを持っていることに気づき、クライミングダウンするのは危険だと言うことで米ちゃんはそのまま上へ抜け、私は引き返したのでした。それで私はもう一度、今度は正規のルートをたどって米ちゃんと合流し、ようやく登頂ということになったのです。

 その時は結果オーライでよかったんだけど、次のアイルマー山では私のクライミング技術の欠落があだとなって頂上を目の前にしながらも引き返すということになってしまったのです。残念だった。頂上はすぐそこに見えているのに!

ウーム。これは悔しい。

 そう思いながらバンフを後にしてカルガリーへと戻った私は、エィやとばかりハーネスを買って、カルガリー大学の室内クライミングジムへ相棒を誘って行ってしまうのでした。

ちなみにこの大学にはアウトドアスポーツ科みたいのがあって、夏休みには日本から語学留学がてらにカヌーやキャンプ、クライミングをやりに学生さんが来るの、アタシそこでインストラクターやるんだけど、今から楽しみだわ!とスタイルバッチのカナダ娘が教えてくれた。

 いいな、イイナ!ボクたちにも教せーテ!と迫りよりたいところだったが、次の日の朝5時には飛行機に乗らなければならないシンデレラボーイズだった我々は、また会う日を楽しみにカナダ娘と別れたのでした。

 今にして思えばロッキーはまさしく岩だらけだったわけで、それで米ちゃんは山を見るたびに興奮していたわけで、でも自分にはそれを登るという発想はなかったわけで、でももう今では自分も街を歩きながら適当な塀があると「あ、練習できるな」と感じてしまう変なヒトになってしまっているわけで、これはもう「今度はロッキーに岩登りに行かねばならない」「絶対に行くのです」と1年前とは正反対の誓いをしている私なのです。