富良野岳 曇りのち快晴

「ねぇ、エミリーたら・」

「なに、リンダ?」

 恥じらうリンダの太股にエミリーの右手がのびる。

「あァ、恥ずかしいィ」

「いいじゃない、す・こ・し・だ・け」

 ピィー、ピィー、ピィー......

 気がつくと5時にセットしたアラームがなっていた。

 悪夢だ。テントの中でむさ苦しい男2人と一緒だというのに。

(いったい夕べ何があったんだろう!?)

 眠い目をこすりながら寝袋から抜け出る。今日はいよいよ富良野岳に登る日だ。この「ゴールデンウィークニュージーランドに行きたかったけど切符が取れなくて急遽北海道になったツアー」のクライマックスとも言える。

 そそくさと仕度をして、男女混浴、無料の露天風呂(サイコー!)脇の駐車場を出る。

 すぐに登山口へ。山頂の方角は曇りで頂上は見えない。

 晴れ男のハズなのに...

 実際、去年はよく晴れた。山に行く日はほとんど晴れた。

 でも今年はあまり調子が良くない。特に4月になって鳴門に引っ越してからは、週末がいつも雨でやられていた。

 あきらめまい。神様は日頃の行いをちゃんと評価してくれるハズ(!?)

 スパッツをテントに忘れた米ちゃんが帰ってきて出発となった。

 しばらくは比較的なだらかな林の中を登っていく。雪の状態はもうお世辞にも良いとは言えない。全体的にガバガバ凍っていて、ところどころ泥で汚れている。喉が乾いても、この雪は食べたくない。

 傾斜がだんだん急になり、シールが滑るようになってくる。自分は特に凍った斜面でトラバース気味に斜行していくのが苦手だ。いっそ、斜面を直登して尾根に出て、尾根上を登った方が楽かなと思いながら登る。

 基本的に米ちゃん、自分、池ちゃんの順番で登る。池ちゃんは山スキーの本番が初めての割には問題なくついてくる。

 やがて尾根にでる。いよいよ斜面も急になる。しかも、標高が高くなり、風も吹きっさらしなので、雪面もいよいよ堅く滑りやすくなってきた。

 気がつくと、いつのまにか、池ちゃん、自分、米ちゃんの順序で登っていた。

 「もうアイゼンにはきかえた方がいいかな」と思った瞬間。「ウオッ」という声とも呻きともつかないような音がして池ちゃんが上から滑ってきた。

 一瞬、目と目が合う。池ちゃんは「やばい」という表情をしている。こんな表情の彼は見たことがない。

 15m位滑ったところに低木があって、ラッキーにも池ちゃんはそこで止まった。

 みんなに安堵の表情。そしてすぐにアイゼンにはきかえる。

 急斜面をどんどん登って高度をかせぐ。自分が山スキーで好きな瞬間の一つだ。山登りはウソつかない。インディアンと一緒だ。30cm登ったら、確実に30cm登れている。いくら仕事をしてもそれに見合った評価がなかなか受けられない会社とは違う。

 はえ松の上をスキーでかき分けていくと、岩のピークが見えてきた。@#$岳だ(名前を忘れてしもうた)。

 えっ、あんなとこスキーで乗っこすの?と不安になる。

 「3月に来た連中はここで引き返したんだよな」と米ちゃん。

 それなら何が何でも登らねばなるまい。目黒を離れてもT口さんとのライバル意識は消えない。お蝶夫人岡ひろみのような永遠のライバルだ。

 ドキドキしながら岩を登り、スキーをはいたまま、2m位ある壁を降りる。

 ふと、去年の連休にカナダへ行ったときのことを思い出す。

 あの時は、自分が岩稜を降りられなくて、頂上手前にして引き返したんだよなぁ。

 やっと一息。

 富良野はまだガスに覆われていて見えない。

 スキーをデポして、比較的やせた尾根をどんどん登る。

 岩と雪とはえ松くんのトリオだ。

 自分は三半規管が悪くて(自分でそう思いこんでいる)、高速エレベータとかジェットコースターとか、フライングカーペットが苦手だ。サンシャイン60の展望台まで行ったりすると、目眩がして座り込んでしまおう。だから遊園地にはデートに行かない。女の子が極端に喜ぶからだ。

 このせいで、バランスを取るのも下手だ。ほら、飲酒運転をチェックするヤツがあるでしょう。片足で立って、目をつむるの。自分は、酔っぱらってなくても、すぐに倒れてしまうのだ。

 話が長くなったが、だから、こういう、平均台の上を歩くような運動は苦手だ。とても緊張する。

 反対に、池ちゃんは、スキーをぬいで魚が水に帰ったように「俺、こーゆーの好き」と言いながら、どんどん登って行ってしまう。もちろん、米ちゃんは推して知るべし。

 自分は、とにかく目の前の1歩に集中して、歩く。

 急な雪氷の斜面をトラバースして考えた。

 ふつうに暮らしていると、ただ歩いていたり、走ったり、転んだとしても死んだりはしない。でも、ここでは少しでも気を抜いたら、谷底へ落ちてしまう。ここではデフォルトが「死」なんだなぁ。下界ではデフォルトが「生」だから、何もしなくても「生」なわけなんだなぁ。だから、きっと山の方が「生」を感じられるんだなぁ。と、だなぁ型哲学者になる。

 ようやく頂上。

 残念ながら展望は悪い。

 とりあえず(偶然持っていた)コーヒーをみんなで飲む。

 風があって雲が動いているようなので、もう少し待てば晴れそうなのだが、結局、10分位であきらめて降りることにした。

 降りる方が登るより楽だろうとたかをくくっていたのが大間違い。

 さっきのトラバースで身動きがとれなくなる。

 米ちゃんが後ろ向きに降りてこいと言う。

 冗談でしょう。真下はずっと見えないところまで切れている。

 ちょっと滑ったら終わりじゃない?

 池ちゃんと米ちゃんは自分の気持ちを知ってか知らずしてか、「ここなら滑落しても止まるよな」、「うん、滑落停止がうまくできればね」とか、なんとなく和気あいあいに話をしている。

 もちろん、自分はそれどころではない。 ...こ こわい...

 池ちゃんがアイゼンの使い方を指示してくれて、ようやく難所を通過できた。やはりこんなことは事前に訓練すべきと反省。

 尾根を降りていくうちに、回りが急速に明るくなってきた。

 快晴の予感!

 ときどき、ガスの向こうに山肌が見えだす。

 やがて、今、登って降りてきた稜線とそれにつながる岸壁が姿を現す。

 ゲーッ!あんなところ行って来たの?

 それはまさに雪山。ものすごく綺麗だけと、ものすごく恐い。

 なんだか、腰のあたりがぞくぞくしてくる。

 最初から見えなくて良かった。

 スキーをデポした所まで戻ると、もはや、全景絶景かな。

 あれに見えるは、十勝岳トムラウシ、...と米ちゃんの解説付きでまるで地形の勉強会プラス観光旅行の人たちに負けず劣らずのシャッター攻撃。

 さっきまでのドキドキも忘れて、のんびりした時間を過ごす。

 ここから待ちに待った滑走だ。

 と思ったんだけど、もう時間がない。山で時間がなくなったんじゃなくて、原稿を書いている時間が、もうないのだ。

 この後には、米ちゃん、恐怖の100m滑落事件が控えているのに...

 まぁ、みんな無事に帰ってこれてよかったね。