誰にも言えない私の恥

「...寝袋をさがしているんですけど」

「どんなのがいいのかな?」

「エーッと、こんど山登りにいくんデス」

「どんな山?」

「どんなって??...キャンプ場の近くの...」

「あのねぇ」

 先日、某ICI新大久保店でハンマーを買うか買わないか迷っているときに聞こえてきた、ちょっとカワユイ系とナイスボディ風の女の子二人組と店員さんとの会話でした。

思わず、吹きだしそうにはなったけれど、私も人のことは言えないのだ。何しろ、最初、登山道というのは舗装された遊歩道みたいなものと思っていたのだから。

 ウム。思い上がってはいけない。初心忘れるべからず。何でも初物が美味しいのだ(??)。というわけで、今回は誰にも言えない私の勘違いを自ら暴露してしまうのです。そうして、初心に返って、できればICIとかでエラそうな店員にイジめられてる女の子とお近づきになろう。そして目黒労山に引き入れて一緒にキャンプ場の近くの山へ行くんだぁいという企画なのです。

 思えば去年の7月に友達(柴ちゃんといって、米ちゃんの友達でもある)から「白馬にジュウソウに行こう」と誘われたとき、自分はてっきり重装だと思っていたのでした。だって食料やら寝袋やらでザックは馬鹿でかくなるし、縦走なんて言葉は当時の私の辞書にはなかったのだ。

 勘違いに気づいたのは2日目に近くの山までピストンしたときだった。その時が初対面だった米ちゃんに「やっぱり重装より軽装の方が楽だね」と言ったときに返ってきた「??」という顔は未だに忘れられない。よくもまぁこんな私をその後も山へつれていってくれたものだ。

 勘違いと言えば、まだまだある。私はクライミングとは何とザイルを使って登るものだと思っていたのだ。「確保」なんていう概念はまったくなかった。ザイルにしがみついて、綱引きの要領で登るのだと思っていたのだ(赤面!)。「人工」とは「練習のために人が作った岩場」だと思っていたし、「カラビナ」は「カナ(金)ビラ(平)」だと、なぜかそう思った。

まったくお恥ずかしい話である。

 7月の北岳バットレスでは、残置シュリンゲのことを残留シュリンゲと言って、原さんに訂正

された。岩場に取り残され、風雨にさらされたシュリンゲの、それでもワシら頑張ってるもんネという健気な態度から「残留孤児」を連想するのは私だけなのだろうか?

 その時の原さんの表情は、かつて日和田で谷口さんが「ビレーってどうやって取るんだっけ?」と言ったときの池ちゃんの表情に限りなく近いものでした。これもまた忘れられない。

 勘違いは、言葉の問題におさまらない。

 私にとって初めての沢は奥多摩の「逆川」だった。沢登りのためにクライミングを始めたような私は "もう2週間も前からウキウキ・ドキドキで、こっそりと地形図まで買いに行ってしまっていた。ところが、何事もこっそりとするのはよくないのである。思えば、こっそりと10.5mm、60メートルというお化けザイルを購入して後悔したこともあった。

 いつも利用している、渋谷、大盛堂5Fの地図コーナーには「驚異の地図おじさん」がいる。かつて、比較的マイナーな(今、名前が思い出せないほど)山へ山スキーへ行ったとき、その山の名前を言っただけですぐに2万5千分の1の地図がでてきて感動したことがある。それ以来、私はその地図おじさん以外から地図を買ったことがなかった。ところがこの日、なぜか、このおじさんが不在で、地図コーナーにはひょろっとした感じのアンちゃんがおった。このアンちゃんが奥多摩・逆川を知らなかったのはいいのだ。ところが、ミョーに親切なこのアンちゃんは、山の本や観光ガイドなどを必死で検索しだして、結局、秩父方面にある逆川を発見してしまったのですね。

 人を疑うという習慣があまりなく、いつも冗談を真に受け、だまされている私だから $、あーそうですか、本当にありがとう、と恐縮してその地図を買ってきたのです。

 当日、立川へ向かう電車の中、見附さんがルート図のコピーを配ってくれた。

 フムフム。なるほど。と目を通しながら、「ワシは、地形図も持ってきたもんね!」と誇らしげな私。「読図も覚えなくちゃね!」と谷口さんにちょっかいをだす。

「地図、持って来たの?偉いわね」

「トーゼン、じゃん!(へっ、へっ、へっ)」

「どーれ、見せてごらん」

「ほらね」

 おもむろに地図を拡げる。沢が全部ちゃんと見えるように地図を折ってあるもんね。

「えっ?どこ?」

「ここ、ココ」

「....何か、変じゃない?」

 そうそれは、我々が向かっている「逆川」とは似て否ナル逆川だったのだ。

 突然の大逆転に谷口さんの意気が中央線快速立川行きの車両で巻き上がったことは言うまでもない。

 さて、初めての沢登りは天気もよく、水泳あり、シャワークライミングありと、本当に楽しい体験だった。それまで何回かゲレンデに岩登りの練習に行ってはいたが、それに比べるとスピード感が全然違う。ノーザイルでどんどん先へ進んでいけるのがいい。

 ところでこれは出発時、バスから降りて、しばらく沢の降り口まで歩き、足場の悪い坂を慎重に下って、いよいよ「沢」についたときのことである。

 沢の両側をトンネルのようにおおう深い緑の木々、なめるように流れる川面。なんだか、映画「アビス」にでてきた水の生物みたいだ。「あぁ、これが沢なんだ」という感慨でいっぱいになりながら、ハーネスをつけたり、ワラジを履いたりしていた。

 すると、プーンと、何かなじみのある匂いがしてくる。「モルト」という言葉が頭にうかぶ。誰だろう、朝から飲んでいるのは?

「田村さんかな?」

 その日の朝、最後まで眠そうにしていた田村さんを、つい疑ってしまう。でも、田村さんのそばに行っても匂いは強くならない。何気に他の人もチェックするがわからない。しばらくして、ようやくこれが沢の匂いだとわかった。苔むした岩、水気のある鬱蒼とした緑、次々と表情を変える水の流れ、そして上質のウイスキーの匂い。私は沢が好きになってしまった。

 実は、ここまではあの「谷川集中」より以前に書いてしまっていたものなのです。

多くの方がすでにご存じのように、10月8日(土)、秋晴れの谷川南稜、第1ピッチで、なんと私は右肩脱臼というドジを踏んでしまったのでした。これはもう、何と言うか、笑えない恥である。今、この原稿を仕上げている時点でも、右腕を三角巾でつり、胸の高さでバンドのようなもので固定して、何とも不様な醜態をさらしている。恥の集大成といった感じなのである。今年一杯は山もあきらめなければならないだろう。ICIの女の子とキャンプ場の近くの山へ行くのも夢の夢になってしまった。事件に関しては余力があったら別の原稿に書くとして、ここでは谷川で私を救出して下さった原さん、古高さん、仁さん、谷口さん、三浦さん、中川さん、そして山本さんに、心から感謝の意を表したい。

 皆さん、本当に、どうもありがとうございました。