ヘビ山の呪い

 突然だが、私はヘビが嫌いだ。

 インディアナ・ジョーンズのハリソン・フォードもヘビを苦手としていた。それでもインディはヘビの大群に囲まれても正気を保って、たいまつの火であぶったりしていた。私はというと、恥ずかしいのですが、山道で、「ヘビ!」と驚かされるだけで座り込んでしまうほど弱虫なのです(本当は「ワッ!」と驚かされただけで腰が抜けそうになるほど繊細なので、くれぐれもそーゆーことはしないように)。

 それでも、この夏、徳島の剣山−三嶺を縦走したときには、あまりのヘビの多さに、火事場のバカ力ならず、ヘビ山のバカ力を実感したのでした。

 そもそもこの縦走は、夏休みに北アルプスを一人で縦走するための練習として計画したものでした。そもそもなぜ、夏山縦走かというと、東京へ出張した帰りに飛行機から見えたアルプス(と思った)がとても美しく、荘厳で、あそこを一人で歩いてみたいと思ったからなのです。

 山を始めてかれこれ2年になりますが、夏山の一般路を縦走したのは、最初に白馬に行った一回ポッキリ。単独で山へ入ったことは一度もなかった私なのです。

 友人から「どうして山なんか登るようになったの?」と再三聞かれ、その度に「登ればわかるよ」と答えるのも芸がないんじゃないか?一人で山に登って、自分がどうして山に登るのか、少し見つめてみたいという気持ちもあったのです。

 諸処の事情でドロミテには行かないことになり、それに、徳島へ越してからは山行の回数も減り、山に関してワクワクすることが少なくなっていたときのことでした。ちなみに、徳島に来てからワクワクすることが少なくなってきたものは山に対してだけではありません。女子大生に対する淡い気持ちがもはかなく消えそうです。ここN教育大学は定員割れしていることもあり、地元の中学生や高校生を入学させているのではと疑いたくなるほど幼い女子大生がたくさんいます。これは危険な兆候です(詳細はまた別の機会に)。

 さっそく本屋で山渓を買うと、ちょうどアルプスの特集号で、槍や穂高の写真が載っていました。

「やっぱりカッコいいなぁ。空を突くようにそびえる槍ヶ岳に向かって、岩山をがんがん歩いたら、どんなに楽しいだろう?アルプスだから涼しいだろうし、夜は満天の星空を観ながら、一人、酒を飲むんだもんね。山と人生についてなんか考えちゃうんだもんね」と、山渓の写真の中に自分をあてはめて、空想をしていたらワクワクしてきたわけです。

 この興奮だよね。

 ところが、米ちゃんも、谷口さんも、この計画には反対でした。とにかく「混んでるから」というのがその理由です。

「絶対、バカ混んでる」と米ちゃん。

「でも、山渓の写真には人があまり写っていないヨ」と私。

「それはヤラセさぁ。それに、そういう雑誌では何年も前から、同じような写真を使い回しているらしいぜ」

 登山者が鈴なりの状態で、ヤラセの写真を撮るのは結構たいへんなのではとも思ったが、そう言われれば、写真の登場人物の服装がやたらと70年代インディアン風ファッションにも見えてくるから不思議です。

「それに、最近は中高年の登山が盛んだから、みんなパック旅行みたいにしてゾロゾロ歩いているわよ」と、これは谷口さん。

 二年前の白馬では確かに人が列になって歩いていたなぁ。綺麗でナイスボディの女の子の後ろならともかく、爺婆の後ろをついていくのでは、せっかくの槍や穂高もだいなしです。お年寄りを差別しているわけではなくて、たんに、北アルプスには(私のような)紅顔の少年が似合うという強度の思いこみをしているだけなので、あしからず。

 話によると、目黒では今年は合宿はやらず、代わりに剣の方の深い沢に入るということ。仁さん系の沢らしい。これもなかなか魅力的だったけど、日程が合わない。

南アルプスにしなさい、じゃなければ大雪に!」

今度はすかさず、米ちゃんの攻撃が入ります。

「大雪に来れば、ウイークデーは一人で縦走してさ、週末は俺とクライミングに行けるじゃん。例の温泉のある沢(山窓、vol. 115, p.10参照)に行ってもいいしさぁ」

 まるで、馬の鼻の前に人参をぶら下げるような、掟破りの作戦です。ところが、今回この馬は「飛行機から見たあの山へ行きたいの!」という、ほとんどアンアン・ノンノン的状況に陥ってしまっているので、さすがの彼の誘惑もただの念仏になりはてたのでした。

 で、とりあえず、地図やガイドブックを取り寄せつつ(なんと、徳島一の大きな本屋にもアルプスの1/25,000の地形図は置いてなくて取り寄せになるということもわかりました)、北アルプスの練習の意味で、近郊の山へ縦走してみることにしたのでした。

徳島県の山」という本をめくってみると、三嶺(ミウネと読む)という山がきれいに写っておりました。さわやかな緑におおわれた山肌の、ところどころに岩峰がつきでている、ちょっとした美形の山(1893m)なんですねぇ。

 どうやら、西日本では2番目に高い剣山(1955m)からの縦走ルートがあるようなので、金曜の夜から自動車で登山口まで入り、土日に縦走するルートに決めました。車にしたのは四国は電車(実はまだディーゼルだし、単線だから汽車といった方が正確)の便が悪く、また、下山したら温泉の法則にしたがうには、その方が便利だと思ったからです。

 それにしても山行計画を作るのがこんなに面倒だとは思わなかったよ。これまでは誰か他の人がコースを決め、エスケープルートを確認し、食料のプランを考え、交通機関の選択をしていたわけで、これを全部自分でやるとなると、頭がゴチャゴチャになってしまうではないの。はっきり言って、こういうのは苦手です。それでも、地図を眺めたり、時刻表を読んだりするのが結構楽しくて、ついつい職場にまで持ち込んで、エクセルを使って山行計画書を作ってしまう自分でした。

 当日、金曜日に仕事を早く終わらせ、5時には大学をでようと思っていたのに、上司の妨害にあって(これも詳細はまた別の機会に)出発が遅れてしまい、ようやく7時すぎに出発。なにしろ徳島は道路がよく整備されていません。高速道路がほとんどないし、国道とはいっても一車線しかないところがほとんどです。その上、制限速度50km/hをなぜか40km/hで走っているクルマが結構いるので、すぐにつまってしまうのです。そんなこんなで、剣山ロープウェイの見ノ越駐車場に着いたのは、もう10時を回っていました。

 今日中にロープウェイ上部のキャンプ場(無料)までは行きたいので、暗闇の中を歩き出す。なんだかすごくドキドキして、足早になってしまう。ここはほとんど観光地化されているようで、道は整備されていて歩きやすいし、迷うはずもなさそう。それでも、やけに神経をとがらせている自分に気づく。なんだか、少しおかしくなって、一人笑いしてしまう。不気味だよね。

 キャンプ場には30分くらいで着いたけど、そこには誰もいなくて静寂の塊。この夏の縦走のために購入したARAIのゴアテックスのテント(1ー2人用)を設置する。目の前にそびえる剣山の頂上付近にはヒュッテの明かりが見える。よく眼をこらすと、ピークから西へ稜線が続いているのがぼんやり見える。あそこを歩いて行くんだなと思いながら、テントの中で何度も地図をみて予習する。

 夜、夕立(夜立?)があった。今日デビューのゴアテントは雨を確実に弾いてくれている。気が高ぶって(あと不安で)眠れないかなぁと思っていたけど、意外にも熟睡してしまう。あまりに熟睡カットばしてしまって、起きたらもう6時。「アジャパ!」と慌てるものの、快晴で、行く末が全部見えたので、嬉しくなり、寝坊したことなど忘れてしまう。

 ところで、徳島の空はいつも曇っているのです。抜けるような青空というのを、まだ見たことがないのです。初めは天気が悪いのだと思っていたら、そうではなくて、湿気のせいで空気の透視度が低いと言う。だから、私の住む鳴門からも山はボーッとしか見えない。これがずっと不満だったのですが、この日の風景は、逆にそのかすんだ空気が緑の山を幻想的に見せていて「いいじゃないの」という気にさせるのでした。

 剣山のピークに向かって歩き出す。途中、修験者の修行場を通る。修験者というか、お札回りをしている人はときどき一般路でも見かけます。でもいつも不思議に思うのは、彼らが誰かということです。あれって何かの宗教(もちろんそうだろけど)を信じてやってるのかなぁ。それとも観光の一種なのでしょうか?自分の友人にもいつか(適齢期になったら?)、白装束をつけ、足袋をはいて、お札回りをする奴が現れるのでしょうか?

 剣山のピークにはヒュッテもあり、数人の登山者も見かけました。ところが、そこから隣の次郎笈(ジロウギュウ)、その向こうの丸石と、西へ向かうにつれ、登山道はだんだん踏み後のようになり、笹の背が高くなり、人はほとんどいなくなりました(結局、三峰のピークまでの7時間位の行程ですれちがったのは1人だけでした)。

 笹で覆われた山は遠くから見ているととてもきれいですが、歩いてみるとヘビだらけ。笹を分けながら歩いていく、そのすぐ横を茶色く細長いモノがすすすっといくのが見えたときは、「うわぁあつ」と声にならない声をあげ、その場にフリーズしてしまいました。それでも、ずっとそうしてもいられないので、「おい、おい、おい」とか「びゅっ、びゅっ」とか自分でも訳のわからない異言を発して歩く。ホイッスルを吹いてもいいかなと思ったけど、蛇使いが笛を使うということは、笛が蛇を呼ぶ可能性が否定できないじゃないですか。

 あらためて見ると、何と10mに1匹くらいの割合で、ヘビがいるじゃねーですか。中には笹の葉の上に顔をだして、まるで日光浴をしているような輩もおります。

 これじゃ笹山ではない蛇山だ。ジャロに言うチャロなんて洒落をとばす相手もいないので、とにかく全速力で腰まである笹をかき分けながら進む。ようやく笹がきれ、ブナ林(だと思う)に逃げ込んだ。

 気がつくと、靴が朝露でビショビショに濡れてしまっていた。皮の軽登山靴は重いし、靴ずれがおきやすいので、今回の縦走プランにさいしては、ナイロン製のトレッキングシューズみたいのを4千円で買ってみたのです。穂高から槍の岩場には、この手の靴の方が歩きやすいかなと思ったからです。ところが、どうやら耐水性がゼロ。もう、靴下までも濡れてしまった。これは失敗だーね。しょうがないので、予備の靴下にはきかえ、ビニール袋をはいてから靴をはいた。かつて軽登山靴で冬山に入ってしまったときに使った作戦です。足が靴の中でずれて多少歩きにくいが、靴がある程度乾くまで我慢の子。

 陽が高くなって気温があがってくると、今度はアブとブヨの猛攻撃が始まった。とにかく休む暇もなくまとわりつき、油断しているとチクッと刺しやがる。とても痛い。休憩しようとして腰をおろすと、10匹以上のアブ・ブヨに囲まれてしまい、なんだか渋谷のチーマーにいじめられる松村になったような気になり、いたたまれず、その場を立ち去ることになる。歩いていてもまとわりついてくる奴等を払うために、腰をひねったり、手をぶん回したり、はたから見たらきっとかなりキミョーな歩き方をしていたに違いない。

 それにしても道が悪い。ほとんど獣道みたい。後で、ガイドブックを読みなおしたら「初心者だけの山行は避けた方がよい」と書いてあった。笹の枝が横倒しになったその上をトラバースしていかなくちゃならないところとかあって結構恐いのです(こーゆーの苦手です)。紅葉の時期には学生を連れてこようかなと思っていたが、考え直した方がよさそう。

 一人で歩いていて発見したことは、やたらペースが早くなってしまうこと。アブとブヨのせいでろくに休憩をとらず、しかも低山で気温が高かかった(たぶん、30度以上あったと思う)せいもあり、白髪分岐を越えたあたりでバテ気味になる。頭がくらくらしてくる。このままではヤバイと思って、木陰に入ってから、強制的に30分ばかり横になって休む。不思議なことにアブもブヨもやってこない。何か食べようと思うが、ブドウパンもチョコレートも食欲をそそらない。これに懲りて本番の北アルプスでは食べやすいゼリーや飴などを持っていった。

 少し良くなったので三嶺までの最後の登りを行く。頂上直下には鎖場などもあり結構苦しい。ここまで来るとさすがに人も増える(とは言っても数パーティーだが)。ここではテントがはれない(ヒュッテはある)ことがわかり、がっくりする。テント場は、あと3時間くらいのオカメ岩まで降らないとならない。ここまでの行動時間は7時間、ガイドブックでは10時間のコースである(つまり、頑張りすぎてバテたわけですね)。

 結局、テント場に着いたのは5時過ぎ。テントを張るなり、中へ倒れ込み、そのまま寝入ってしまった。気がつくと、もうあたりは薄暗く、夕焼け時。キャンプ地には、またもや私一人で、虫や鳥のさえずりを聞きながら飯をつくり、ウイスキーをすすった。

 最終日、また快晴。すごく気持ちのいい朝を迎える。あまりに気持ちがよくて、道を間違えたのに気がついたのにもかかわらず、後戻りせず、計画とは別の稜線を降りようとしたのが大きなミスだった。踏み後がずっとついていて(地図には載っていないが)、そもまま行けば地図上の別の登山道にでれるようだったのです。鹿君に出会ったりして、途中までは調子良かったのですが、登山道になかなかぶつからない。ぶつかったと思うと、それは獣道で途中で消えてしまう。

 本気でルートファインディングに取り組んだのは、これが初めてだと思う(結局、見つけられなかったけど....)。でも、これって興奮しますねぇ。地図をみて、「ここをこうやって行ったら、次はこうなってるはずだ」と予想して、実際にそうなっていたときには、背筋がゾクゾクした(結局、勘違いだったけど....)。予想がはずれたときにも別の意味でゾクゾクするから、もう、アドレナリンの開放状態。

 迷っているうちに見つけたのが、地図には載っていない(多分、木こりさんたちの)山道。ところがそれも途中で崩壊していて、また迷う。沢に入ったり、稜線にでたり、いろいろしているうち、ようやくはっきりした踏み後にでた。それを伝って降りていくと、目的地よりも稜線でいって2本も西側にある集落にでてしまったのですね。ただ、幸運にもそこには当初の目的地から乗るはずだったバスが通っていて、バス一本遅れただけですみました。

 初めての単独縦走でこのように学んだことを活かして、特派員はいよいよ念願の北アルプスへと旅立ったのでした。

続く。